自己紹介

私が生まれ育った実家はコメ農家です。
いまも父親が米を作っていて、毎年秋においしいお米をくれます。
「食べなれたウチのコメが一番おいしい」と思っていますが
そんなコメでも、炊くたびに味や食感が違ったりします。
みそ汁だってそうです。毎回なんか微妙に味が違う。

毎日食べるごはんだから、最高の状態で食べたい!
そう思い立った私は、水と米の量を軽量カップや炊飯ジャーの内釜の線ではく
はかりに乗せて、きっちりグラムで測ることにしました。
浸水時間、使用材料などは固定して、水と米の比率だけを追求しました。

その結果、つやつやに炊ける確率が格段に上がりました。
まだ完全には安定しませんが、炊きあがりにムラが生じることも少なくなりました。
あとは蒸らし時間、研ぎ方、炊く際のコメの配置(生米が平らで偏りがないか)
あたりを徐々に試して、さらに成功率を上げたいなと思っています。

家のごはんが毎日おいしくなって、みそ汁も安定してきて
一方で、ふと気づくことがでてきます。

お好み焼き屋なのに、おいしいおにぎりを出すお店がある。
地元の魚・米を売りにしながら、シャリがベタベタな寿司屋もある。

たぶん「A5ランクの和牛」など材料で宣伝する店は、いつのまにかブランド食材頼みになっていたり
調理方法や味付け、味見をおろそかにしていることもあるのではないかと感じました。

個人的には、お好み焼きはお店で焼いてもらって、一番美味しい状態で食べたいし
ステーキだって「塩、ワザビお好みでどうぞ」ではなく、シェフが「これだ」という
味に仕上げたものを「いまこそ食べごろ」の状態で提供してほしいのです。

料理はある意味、独裁的で強権的、決め打ちがいいとさえ思っていて
シェフの「よし、これだ!うまい!」と思ったものそのものを味わってみたいのだと気づきました。
逆に言えば、そういった独善的なシェフは少なく、一般受けを狙い、あいまいでどっちつかず
いろいろ味付けして、それっぽく仕上げた料理にあふれていることに少し残念な気もします。

スーパーで売っている素材でいいので、普通に調理して、ちゃんと味見して
食べごろの状態で提供してくれるような、信用のできるお店を探し求めています。
そして、それはそのまま私の料理のモットーとも言えます。

自分が「おいしい。これこれ!」と思える家庭料理を味見しながら作る。
素材はスーパーのでいい。調理工程が簡単で、シンプルですっきりした味を目指す。

その基礎には、父が作ったコメ、そして祖母や母が作ってくれた料理があります。
祖母は年老いてしまい、料理をすることも無くなってしまったけれど
お嫁に行った孫(わたし)の成長を料理という形で、祖母に報告することができる。
かつて祖母が作ってくれた煮魚を今度は私が作って「懐かしい味やね」などと話をしながら、
幸せな時間を一緒に過ごしたい。そんな気持ちが沸きあがってきました。

祖母は持病のため食事制限をおこなっており、日々味の薄いのものを食べています。
現在母が調理を行っていますが、祖母とは作る料理が違っていて現代的です。
私は祖母が作ってくれた煮魚や酢の物など、いわゆる和食が一番好きなのですが、
塩が多めの和食では減塩が必要だとしても、うす塩でたくさん食べるより、
しっかり塩の効いたものを少量食べる方が満足感があると思っています。

離れて暮らしているので、毎日は祖母に作ってあげることは難しいけど
たまに実家に帰った時に「ばあちゃん。何たべたい?」って
このブログの写真を見せながら聞いて、祖母の気分で注文してもらって
私が作ったものを一緒に食べる機会が、一度でも多くなることを願いつつ
心を込めてこのブログを作っています。

縁起の悪い言い方かもしれませんが
後からお墓や仏壇に供えるよりも、生きている時に一度でもおいしいを共有したい。

新型コロナウィルス感染で重症化し病院から生還した時、祖母が言ったことは
「いつ死んでもいいと思っとるのが、生き残ったわ」
仏様のもとに行く覚悟ができている悟りに近い祖母に、私でもできること。

一緒に生きて、ともに幸せを感じるために、私は今日も張り切って作ります。
そしていつか、私の子供がこのブログをみて、
「お母さんのが一番おいしいんだよ」とかいいながら料理してくれることを夢見ています。

2023年9月

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